第19歩兵連隊の概要

ここでは、私たちがリエナクトメントの際に基幹としてる第19歩兵連隊についての解説を行います。

第19連隊の概要史については、Lexikon Der Wehrmachtの19. (Bayer.) Infanterie-Regimentから引用、翻訳しました。

第19(バイエルン)歩兵連隊は1921年1月1日、第7軍管区において旧バイエルン王国の流れを組む共和国陸軍部隊を幾つか統合する形で設立された。基幹部隊には主として第41歩兵連隊と第42歩兵連隊であった。主な駐屯地はミュンヘンで第1大隊と第13(ミーネンヴェルファー)中隊が同市に駐屯した。

第2大隊はアウグスブルク、第3大隊本部部及び11、12中隊はケンプテン、9、10中隊はリンダウ、訓練大隊はランツフートに駐屯した。 

第19歩兵連隊は第7師団の隷下部隊であった。 再軍備前は同連隊は戦術的にはInfanterieführer VII(第7歩兵指揮官)(※再軍備を隠すための名前で歩兵師団長に相当する。)の指揮下にあった。

20年代初頭に第10中隊と第11中隊は中隊番号を入れ替え、その際にケンプテンに第3大隊(猟兵)本部と第10中隊、12中隊が再配置された。 ※第10中隊と12中隊は猟兵中隊である。

1931年には第3大隊が連隊から正式に山岳戦の部隊として指定を受ける。(後の山岳猟兵)

1934年10月1日 ReichswehrからWehrmachtへ移行する際、連隊はInfanterie-Regiment München (ミュンヘン歩兵連隊)に改名された。

その際再編成を行い、Infanterie-Regiment Augsburg(アウグスブルグ歩兵連隊)を新設 

アウグスブルグ歩兵連隊の基幹部隊として、第2大隊は同連隊の第2大隊へ移籍した。

第3大隊はI. Ausbildungs-Bataillon (第1訓練大隊)へと再編成され、19連隊内の元あった訓練大隊は第20歩兵連隊第1訓練大隊へ再編成された。

また、再軍備に伴う徴兵によってミュンヘンにおいて新たに第2大隊、フライジングにおいて第3大隊

ライヘンハルにおいてII. Ausbildungs-Bataillon(第2訓練大隊)を新設した。

また、連隊はArtillerieführer VII (第7砲兵指揮官)の指揮下に置かれた。

更なる部隊の統廃合の結果、連隊は1935年10月15日に正式に第19歩兵連隊に改名された。

その際、第2大隊を第61歩兵連隊の第2大隊へと改編した。

また、1935年の秋に、第1訓練大隊は、 Gebirgsjäger-Regiment 99 第99山岳猟兵連隊の第1大隊へと改編

同第2訓練大隊をGebirgsjäger-Regiment 100 第100山岳猟兵連隊の第3大隊へと改編した。

その代わりにLandespolizei 州警察を徴兵しミュンヘンにおいて第2大隊を新設した。

1936年10月6日に、連隊の訓練大隊も​Ergänzungs-Bataillon 40 第40訓練大隊に名称変更する形でフライジングに設置された。

その際の名称はErgänzungs-Bataillon vom Infanterie-Regiment 19であり、第19訓練大隊ではなく第19歩兵連隊の訓練大隊である、第19訓練大隊は別に存在するので注意。

※再軍備の際にAusbildungs-BataillonはErgänzungs-Bataillonに改名されている。第40訓練連隊は1935年にフライジングに設置されていた。

1938年3月、連隊はオーストリア進駐に参加し一時的にブラウナウ、ティットモニング、リート近郊に駐屯した。

帰国後、連隊は1938年10月にズデーテンラント進駐に参加した。

1939年8月に連隊はスロバキアへ移動し スロバキアから、ポーランド戦に参加した。国境付近のカドカにおいて連隊は師団予備として機能した。9月2日から師団予備から転出し、バラニア山を強襲した。夕方までに線路使い、ベンギエルスカ・グルカに到着した。9月5日にはミシレニツェを占領した。

 

9月14日にはサン川近郊のオストルフを占領 そして、Krokowiec、Jaworow、Szkio 9月21日にはレンベルク(現在のウクライナ領リヴィウ)を占領した。 ここでポーランド戦役が終わり1939年10月12日にはメンヒェングラートバッハ(ベルギー国境付近の町)まで電車で移送され、一月末にはテューッデルンーガイレンキルヒェンまで移送された。

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